メールはこちら about_team30

同窓会によせて

2013.11.16

今年もこのように集うことができました。昨年の同窓会から、短かったような長かったような。こうして、変わりなく、またみなさんに会えたことを嬉しく思います。初めて参加してくださった方も、迷われたかもしれませんが、来てくださって嬉しく思います。毎年、このように集う機会をもち続けることで、少しずつでも、あるいは時に応じて、みなさんが会うチャンスが増えるといい、そんな風に思っています。

変わりなく会えた、と書きましたけれど、この一年、皆さんそれぞれにいろいろなことがあったことは想像に難くありません。それなりの歳になり、ご家族やご近所や仕事などなどの場面で、大切なことがたくさんあったかも知れません。それでもまた、こうして昔の仲間が集まれるのは、なんと素敵なことではないでしょうか。

思い返せば、私たちが中学で一緒に、学び遊んだのは、わずか三年でした。今思えば、なんと短かったことでしょう。でも当時の私たちには、その時間はどれだけ長く、毎日身の回りにいろいろなことが起こっているように感じたことでしょう。すべてが重大事で、その三年間は、今、私たちが生きている時間とはまったく違っていたように感じてすらしまいます。

でも、地球に聞いてみれば一年は一年。心のもちようを少し変えて、つぶさにこの一年を振り返ってみたら、あの頃と同じように、新たな発見や驚きに満ち満ちていたのかもしれません。時は流れ人は流れ。

私たちの身体は小さな細胞でできているわけですが、爪や髪が伸び、皮膚が新たに入れ替わるように、どうやら一年もすれば、身体はすべて、細胞の分子レベルでは全く新しく入れ替わっているらしいのです。変わりないどころか、私たちは毎日変化しつづけていて、それ故、いつも新たな発見のただ中にいるのかも知れません。

私事ですが、先日、私たちの同級生である安井清子さんが長い間関係を保ってこられた、モンという少数民族を訪ねて、ラオスの山奥に行ってきました。そこで体験したのは、私たちが日々送っている便利できれいで効率のよい生活とはまったく反対の、自然と一体となり一人ひとりの身体と思考が頼りの、原初的な力にあふれた生活でした。草木や家畜などに由来する香しい匂いや、色や光、満天の星々。幼い頃に体験したわけでもないのに、心が刺激され、何かを見いだすような、どこか懐かしくも穏やかな生活でした。

その家の、ちょうど中学二年生の男の子は、よく働いて家族を助け、逞しく、小さい子どもの面倒をみたり私たちのことを心配したりと心優しく、でも鳥をとって遊んだりと少年らしく、直接言葉は通じないのに、何か心が通じるように感じました。彼は、今日集まる私たちが一緒に過ごした頃を、今過ごしているんだなぁと思いながら、私は、そのような時間の大切さを改めて感じました。

便利なインターネットや交通手段のおかげで、私たちは、こうしてまた集まれました。ラオスの山奥だったら、こうはいかないかもしれません。でもこうして集まることのもとは、いろいろなものを見て感じ、考えた、あの頃に私たちが一緒にいたからです。きっと、これからも、そんな時間を一緒に過ごした私たちのことを大切にしていきましょう。

(篠崎健一)

team 30 代表

  • 篠崎 健一
  • 佐藤 全太
  • 佐藤 真砂

topに戻る