2011年の同窓会を迎えて
2011.11.19
とうとう今日という日がやってきました。この文章を目にしているからには、みなさん、無事に会場に辿り着き、顔を合わせることができているはずですね。
私たちが東田中の校庭をどたばたと走り回ったり、廊下や屋上でたわいない話で盛り上がったりしていた頃から35年、こんな未来を想像していた人はいたかな。「1999年に世界が終わる」というノストラダムスの予言が流行っていた頃合だったけれど、そんなことは遠い未来の出来事のように思えていたものでした。しかし、私たちはこうして、今、21世紀に生きている。
携帯電話をポケットに入れて街を歩き、愛媛や青森といった遠方の(いや、それだけでなく海外の)友だちとお喋りしたりしている。テレビの前に家族が集まるのではなく、各家庭に何台もある時代。そのテレビからは、男子諸君をあんなにどきどきさせたプロレスが消えてしまい、大和なでしこがボールを蹴とばし、ワールドカップで優勝する場面が放映される。こんなことは予想だにしなかった。
髪の毛が白くなったり少なくなったり、太ったり痩せたり。足腰が痛くなったり、眼鏡がないと新聞が読めなくなったり。そういう身体にまつわる変化のあれこれ。50年も生きているといろいろなことがあるものです。
新しい家庭を築き、子どもをもっている人は少なくないし、中には、お孫さんのいる人さえいる。考えてみれば、当たり前のことなんだけれど、そんな自分たちの姿を思い描いていた人はどれだけいただろう。
想像を超えていたことはまだまだたくさんあるけれども、3月の大きな震災のことを離れることはできません。あの出来事があったから今年は出席しようという気になりました、と伝えてくれた人が何人かいます。そういう意味では、私たちの心は今でも大きく揺れ続けているのです。そして、それが人と人との繋がりをあらためて強く意識させているのだと思います。
名簿の整理もだんだん進んできました。次の集まりに向けてメールや手紙を届ける機会もあるでしょう。ただ、時には、悲しいお知らせを伝える連絡だってあるかもしれません。同じ時代を同じ空間で過ごした仲間たちとの繋がりはそうして続いていくのです。
先の案内にも書きましたが、すでに亡くなっている同級生も少なくありません。宛先のわからない人たちもまだ幾人もいます。そう、また会おうと言って別れても、また会える保証などないのですね。だからこそ、今日は最高の会にしようではありませんか。そして、最後には、また会おう、と手を振って、次の機会にもみな健やかに笑顔で集まれることを期待しようではありませんか。
team 30 代表
篠崎 健一
佐藤 全太